残念!

昨日の「横浜開港記念日」の花火ご覧になれました?  
私は見ましたよー!確かに丁度19時53分から打ちあがり、55分頃に最後を締めくくる、大輪の花火が重なって打ちあがり、そしてはかなく・・・?でした、でも姿は見えたのですが、残念な事に音がねー、あの打ちあがる時の「ドーン!」と言う音は聞こえませんでした! 
でも見ました!
そんな花火のようにはかなくとは違い、長い間中華街の大通りでほらっ!とその存在を示していたあの「聘珍樓」が、なんと倒産!と、今日の新聞に出ておりました!
昔から中華街で何か記念のとか、1度は!と話に出るお店が、この「聘珍樓」など数店でしたが、中華街の中でも現存する最も古かった中華料理店だったといいます!  「聘珍樓」の創業は1884年(明治17年)だといいます、先月5月15日に移転の為に、その存在を見せていた「本店」は移転のために閉店されてしまいましたが、それでも移転ですからどこかで・・・?と思っていたのですが、それもなくなってしまった!ということですね!
今回の倒産!と言う事が流れたのが昨日夜のニュースで見ましたが、昨日はその中華街が出来るきっかけになった「横浜開港記念日」なんとの皮肉と言うかまさに「栄枯盛衰」とでも・・・?
もともと「中華街」の始まりは、昨日の1859年6月の開港の時に、欧米の商人などが滞在できるように!と、横浜に外人居留地が作られ、その地域がもともとは「よこはましんでん=横浜新田」と呼ばれていたところだったと!  そしてそこに住んでいた欧米人は、当然日本語を話すことが出来る人が少なく、上手にビジネスが出来ない為に、通訳として漢字を使い、日本との交流も古くからあった中国の方をお願いしようと白羽の矢が立つたのですが、まだ中国とは「修好通商条約」を結んでいなかったために、本来は入国できなかったのですが、通訳をお願いしたい!と言う事で、これもチャンスと中国人の方が日本に渡ってきたと言います!
そしてその中国の方たちが中国で大事にされていた「風水」と言う事から、今の中華街の場所が適している、と言う事で中国出身者が好んで住むようになったと、これが横浜中華街の今の発展に関係しているといます!
しかし、このころから中華料理店が今のようにひしめき合っていたわけでなく、最初の頃に住んでいた中国人の方たちの多くは、欧米人が営む貿易商の通訳や、日本人との折衝の担当するような仕事の方が多かったといいます、その後、貿易が横浜だけではなくなる明治維新後になると、住む方の仕事は中国人の方が得意としていた?お料理や理髪、裁縫の3つが生かされ、これらに関係するような仕事のお店が並んでいたといいます、その後もそれぞれの時代に合わせ、少しづつ発展をして、今では日本国内だけでなく、東アジア最大と言われるほどの大きさになる「横浜中華街」が出来上がったといいます!
その歴史ある横浜中華街の代表的だったお店「聘珍樓」!  今回の閉店も、やはり今まで発展をして変わってきたのと同じ様に、時代の流れなのでしょうか?
それこそ、数えるくらいしか行ってはおりませんが、だからこそやはり残念ですね!