今日は?と言えばもちろん、私の連休3日目になり「こどもの日」祝日です!
「こどもの日」ですから、男の子もそして女の子にも?の日のはずなのですが、3月の五節句の一つ「上巳の節句=じょうしのせっく」が桃の節句で桃の花とひな人形を供えるように、今日は「端午の節句=たんごのせっく」で鯉のぼりや菖蒲で、五月人形は武者人形や金太郎、兜や鎧などを飾り、3月が女の子の、そしてこの日は男の子のお節句に!
始まりはやはりで、薬草などを摘んで、邪気を払うといった宮廷での行事だったそうですが、鎌倉時代になり徐々に武家の力が強い時代になって来て、一時期は廃れて行った時代もあったようですが、それが再びとなったのは?これもやはりで・・・!江戸時代になってだと言います!
鯉は急流を上り、竜門の滝「登竜門」を上り「竜」になり天に・・・と言われ、また清流でも濁っていても、沼でも池でもどんなところでも生きていける強い魚であることから、立身出世の象徴として江戸時代のころから町人の間から5月に「鯉のぼり」を飾るようになったと言います!
しかし「端午の節句」をお祝いするようになったその始まりは?いつもの様に町人からではなく貴族や武士からで! この「端午の節句」のお祝いも武士から始められたことだそうです!始まりは7歳以下の男の子のいる武士の家では、この日になると「のぼりや吹き流し」を立てていたそうです!これが始まりだったと!
時代が時代ですから、武士が行っていたからと言って町人も・・・?とは、やはりこの時代身分制度があり、同じ様にできなかったそうです!
そして町人などの子供でも武士と同じ様に、我が子の可愛さは同じだったようで、なんとしてもお祝いをしたい!と思うようになり、武士と同じ「吹き流しやのぼり」ではヤバイ!ということで、ならば!と「出世魚」として縁起の良い「鯉のぼり」を立てたそうです!
その「鯉のぼり」が町人の間で評判になり、広く、みなが上げるようになり!それが武士社会に伝わり、武士の家でもその真似をするようになり、明治期になってから、吹き流しと並べて鯉のぼりを上げるようになったそうです!
最初は「吹き流し、真鯉、緋鯉」だったそうですが、昭和になり家族的な?ということからか、青い子供の鯉が並んであげられるようになったそうです!
昔!私の子供のころは確かに男のいる家はどのお家もで、庭にはいっつも長ーい一本の棒が立っていて、この時期になると、そこに「吹き流しや真鯉に緋鯉、子供の鯉」と並んで泳いでいたことを見ておりました!あれは田舎だったからなのか、それとも時代だったのか? 今では上げるような棒を立て置くような所もなかったり、また建物の方が高くなり過ぎた事も有り、ベランダに斜めに鯉の泳いでいるのをよく見かけますよね!
また「端午の節句」としてお祝いをしていた武士の社会では「尚武=武をたっとぶ!」という事や「勝負」などにかけ、また昔から「菖蒲」は邪気を払う力があるとも信じられており、この時期に花が咲くことから!今でもお風呂に「菖蒲」を入れた「菖蒲湯」につかる風習などもあり、お花屋さんやスーパーなどでも売られております!
こうしたことから、この「端午の節句」が男の子の誕生と成長をお祝いする日になって行ったようです!
そしてこの時期に楽しみな物と言えば? やはり「ちまきや柏餅」では?
「ちまき」は災いを避けると言う、言い伝えからで!また「柏餅」は「柏の木というのは、次の新しい芽が出るまでは、古い葉が落ちずに残っている!」ということから「家系が途絶えない!」と言うことで「子孫繁栄」の意味が込められているそうです!
今年はエリアンのような、今まで経験したことのないウイルスに、世界中が戦々恐々としている現在、子供だけでなく大人も「菖蒲湯に浸かり、そして柏餅やちまきを食べて」邪気を払わないと!
「菖蒲の葉や柏餅」今まで忘れていたみなさまも、今年は無病息災を祈り、現在のこの状態が早く終息するようにこれから用意をしませんか?
このお祝いが初められた時のような、祈祷の時代のような話になっておりますが、ワクチンもそして薬も間もなく・・・!と言っておりますが、この際さらに自分の気持ちも・・・で!昔のことを大事にするという事で「温故知新」、それはそれで良いのではないでしょうか!
風も適度にあり、吹き流しや鯉のぼりも青空とはいきませんが、それでも陽も差す、晴れの日!気持ちよく泳いでいる姿をあちらこちらで見かけます! 暖かですから、散歩にでも如何ですか?
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